

自分の持てる力を出し尽くした。その結果が背泳ぎで5位。
予選・決勝とも自己ベストを更新することができたが、メダルには手が届かなかった。
東京パラは僕にとって初めての世界大会だった。
これまでアジア大会の出場経験はあったが、アジア以外の選手と泳ぐのは初めてだった。
レース前の招集所でも僕は音楽を聴いてリラックスするタイプだけど、1位になったアメリカの選手は走っていた。「いろんなタイプの選手がいるんだなぁ」と感じたし、本当に刺激的な時間だった。
東京パラの選手村で同部屋だった山田拓朗さんからは、後日「幸太のすごいところは、自分のリズムがどんな状況でもくずれないところ。たとえば、アップするプールが混んでいたら自分の思うようなアップができないという人もいるけれど、幸太はそういった外的影響を受けにくい。生活リズムも含めいかに自分のコンディションをいい状態にもっていくかという点で、それはとても大切な能力だと思う。それがレース本番での自己ベストにつながった」と言ってもらえて、とてもうれしかった。
だた東京パラは無観客だったので、本当の意味でのパラリンピックはまだ経験していないと思う。
過去に何度もパラリンピックに出場してきた拓朗さんも「パリは信じられないくらいの大歓声のなかを泳ぐはず」と教えてくれた。
3位との差は2秒。これが今の自分の実力だと受け止め、次こそはと、自分に誓った。
大会が終了し「この先どうしたらいいか」と、進路問題に直面した大学4年の秋、僕はNTTファイナンスと出会うことになる。
初の国際大会でベストタイムを出せたものの、5位入賞でメダル獲得への道の険しさを実感する大会になったのではないかと思います。
このころには後輩への気遣いもできるようになり、大学の練習では後輩と話す時間が増えてきた印象でした。
よく頑張った。続けてきてよかったね。そんな気持ちでいっぱいでした。
「お母さんのいうことを聞いて、水泳を続けてきてよかった」と言ってくれたことが、今でも心に残っています。