Vol.003『水泳を続けてみようと思ったあの日』

生まれて0.5歳でプールデビューしてからずっと、週2〜3日は必ずプールにいた。
小学校5年生でパラ水泳のチームに入り、そこからいろいろな大会に出て入賞したり、代表に選ばれたり、充実した日々を送ってきた。

でも、高校2年生のある日、『燃え尽き症候群』ってほど大げさなものではないけれど、
なんか『やりきった感』みたいなものを感じて「もう水泳はいいかな」と思ったことがある。
これからの人生を考えた時に、水泳が仕事になる未来も想像できなかったし、「そもそもなんで水泳やっているんだっけ?」「練習もしんどいし、もういいかな」といった思考に支配されつつあった。

そして、無断で1か月くらい、練習を休んだ。
自分の水泳人生始まって以来のプールからの長期離脱だ。
その1か月間、「自分は水泳以外で、何をしたいんだろう」と、今後の進路について僕なりに真剣に考えた。

結果、何も浮かばなかった……。
でも、それが「水泳をやるしかない」というマインドにつながった。
「よっしゃ、水泳でがむしゃらにやってやるぞ」というほど固い決意を持っていたわけではないが、「水泳以外にやりたいことないじゃん」という気づきがあったのは、今思うと、自分の中で大きな岐路だった。

母親からの後押しもあり、1か月休んでいた練習を再開し、僕はふだんの生活に戻っていった。
そして練習を続けた結果、翌年にはアジアユース代表に選出され、それがきっかけとなり、日体大進学の道が開けた。
日体大では、寮に入って、これまでの2倍以上の練習に取組むなど、水泳漬けの日々を送ることになるが、それまでは、実家暮らし。
僕は4兄弟の次男で、父・母、兄と弟2人の6人家族だ。
次回は、そんな兄弟たちと僕との関係性をちらっと紹介!

お母さん談

中学3年になるころに障害に対して周りの目を気にするようになり、「なんでこんな手で生まれたのか。お母さんには僕の気持ちはわからない。水泳なんてもうやめたい」と、今まで決して口にしなかった言葉を言われ涙が出そうになりました。
「このまま続けていけば世界をめざせる才能があるのに、ここでやめてしまったら何が残る?普通の子と違う、手に障害がある子としか見られない。可能性がある未来を自分で潰すんだよ」と本人にとっては厳しいことを言ったことを覚えています。それから本人なりに考え続けることにしたようです。

東京パラリンピックに出場した時に、「あの時お母さんのいうことを聞いていてよかった」と言ってくれた時はうれしかったです。

高校の卒業式を記念にして、校門前で窪田幸太と母が立っている様子の写真
窪田幸太 公式インスタグラム窪田幸太 公式インスタグラム